浦佐居住の武士達! |
『大和町史』によると、浦佐に居住した武士は大関親憲だけではなかった。(上杉景勝25将の1人、大関親憲の詳細はこちら) 米沢上家御記録所の「上田士籍」には、「上田浦佐、菖蒲沢、高橋源左衛門」と記載されている。高橋氏は慶長3年(1598)会津に移り、さらに米沢に移って上杉氏に仕えたが、島原の乱には鍋島信濃守の陣所におもむく使者をつとめて褒美を与えられた。 このほか「上杉年譜」には清水一族の清水藤左衛門、内蔵助、七右衛門も浦佐に居住していたとされている。 清水内蔵助は、天正11年(1583)4月5日、景勝が信濃出馬のときも書状を与えられているし、同年10月9日、西蒲原の天神山城将を命ぜられ、和納村の料所分を宛行われている。 上杉景勝が佐渡を平定すると、佐渡は上杉氏の家臣の給地として分割されて与えられた。 浦佐に深く根をおろして居住した清水内蔵助も佐渡に派遣され、広大な所領を与えられた。 このほか黒金安芸守、青柳隼人、富永孫四郎、富所、登坂、大井田、井上、安部、佐藤の諸氏等、上杉景勝と関係の深い武士も派遣された。これらの家臣団をひきつれて、佐渡に渡って金銀山を経営したのが直江兼続であった。 |
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三の丸付近から越後三山・八色原・浦佐駅を望む |